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だから私は保育士を辞めた~23歳で主任?!そして誰もいなくなった~
【略歴】
・ぽんた(仮名)
・短大卒
・20代(辞めた当時)
・私立保育園 (仏教系)
・5年目
・大阪府
一、残酷な天使たち
小さい頃から絶対に保育士になると決めていた私。
2年間実習に講義、ピアノと朝から晩まで忙しかった短大生活を無事に終え、夢の保育士1年目が始まりました。
実習や講義である程度知識はあるつもりでしたが、やはり現場で学ぶことは多く、毎日天使たちに囲まれながら先輩方に叱咤激励をいただいていました。
ある日、受け持ちではないクラスのA子がズルをしてゲームに勝っているところを目撃しました。私はA子だけこっそり呼び出し、「ずるは駄目だよ。ルールを守って遊ぼうね」と声をかけました。
しかし、A子には響かず、その後もズルをみかける度に個別に注意をしていました。
数カ月後、突然主任から話があると言われ、応接間へ行くと、主任、担任がいました。
私はわけがわからずキョロキョロしていると、主任が「A子ちゃんがね、保育園でぽんた先生にいじわるされるから来たくないって言っているの。詳しく聞かせてくれるかしら」と言いました。
私は一連のことを時系列に沿って丁寧に説明をしました。
主任は頭を抱え、担任はため息をつきました。
「どうして最初に担任へ相談しなかったの?」
主任の言葉にハッとなり自分のしでかしたことの大きさに気づきました。
私とA子の間には信頼関係は築けておらず、そんな大人から毎回自分の遊びに難癖をつけてきたら「いじわる」と捉えられても仕方がないのです。
こういうことを目撃した場合はまず担任に報告、注意をするにしても全員でルールを確認する等、一人だけを責めないよう配慮するのが鉄則だと学びました。
子どもは素直でかわいいだけではなく、それ故に残酷さも持ち合わせており、自分に都合の良いように事実を捻じ曲げて伝えることがあるということを肝に銘じた1年目でした。
ニ、派閥争い〜マウント女子の巣窟〜
働き始めてすぐ、職場の雰囲気に違和感を覚えました。表面上は仲良く取り繕っているのですが、よく観察すると3つの派閥が存在していたのです。
①子どもたちのためならサービス残業どんとこい!主任派閥
②何事も要領よく先輩が残っていようが関係ない!定時で上がるゆとり派閥
③どっちにもいい顔をして結局どっちにも入れない!コウモリ派閥
コウモリ派閥の先輩から①か②どっちに所属するのか早々に決めないと会議で孤立するよとアドバイスを頂いたのですが、結局選べなかった私はコウモリ派閥へ…
会議は想像を絶するピリつき具合でした。
主任が提案した運動会の案を主任派閥だけが盛り上がって決定…かと思いきやゆとり派閥から「それって今の時代に合ってなくないですか?」というツッコミが入り「じゃぁ若い人のフレッシュな意見お願いね」と切り返し、ゆとりの斬新な意見が出たら「私は良いと思うんだけど園長先生がなんていうか…」と濁す始末。
ドロドロしすぎて本当に息が詰まりました!
結局会議の最後は「この件は一旦持ち帰ってまた来週」
といって何も決まらず終わり、いつの間にか園長と主任だけで決められたものが決定事項として翌週伝えられるというのがお決まりのパターンでした。
三、モラハラという概念の存在しない世界
パワハラやモラハラなど〇〇ハラという言葉はよく聞いていましたがまさか自分がそれを受ける側になるなんて想像したこともありませんでした。
仏教系の園はお寺に併設されていることが多く、園長先生=お坊さんというところが多いです。
一族経営でやってきたこともあり、権力は絶大、誰も逆らうことができません。
そのため、園長先生が言うことは絶対だし、園長先生に逆らう=クビでした。
そんなジャイアン園長は時に化粧にまで口を出してきます。
すっぴんで通勤してこようものならお説教1時間プラス社会人のマナー講習へ行かされます。
また、化粧は濃すぎても薄すぎても言われるので園長先生の好みに合わせた化粧を身に着けなくてはいけません。
園長がこの園のルール。ルール守れないものは働く資格なしと新任研修で言われます。
これが身に着けられない人はほぼ1年未満で辞めていきます。
四、そして誰もいなくなった
私が4年目に入る頃には主任派閥のメンバーはゆとり勢力の拡大に負け、押し出されるように全員退職し、若手たけの園になっていました。4年目で上から2番目になり、後輩も入ってきて保育も楽しくなってきた頃、事件は起きました。
一番上のZ先輩(1歳上、同じ学校出身、現主任)がついに園長に噛み付いたのです。
園長=ルールというしがらみから後輩たちを開放したいという責任感から「このやり方はおかしいと思います!」
と正面切って抗議したのです!
元ゆとり派閥(主任派閥がなくなってから派閥は解散された)からは表面上は反応なしでしたが、会議後よく言った!と拍手喝采でした。
しかし、ここからZ先輩の苦難は始まったのです。
行事一つとっても園長のGoサインがないと先に進めません。
園長に喧嘩を売った形になったZ先輩のクラスは後回し、年長を持っていたにもかかわらず、大切な行事の前日に大量の変更。
身も心もボロボロになっていくZ先輩を私は黙ってみていることしかできませんでした。
ある日、園長に呼び出され、「ぽんた先生、明日から主任ね」と言われました
突然のことで多少驚きはしましたが、ある程度覚悟はしていました。
というのも数日前、Z先輩から「ごめん」と短いLINEが入っていたのです。
それ以来Z先輩が園に顔を出すことは二度とありませんでした。
五、最後に
現場を退いて10年近く経ちますが、今でもふと園の夢を見て思い出します。
あのときの選択が合っていたのか間違っていたのかは10年経った今でもよくわかりません。
もしかしたら別のもっといい選択があったかもしれません。
ただ、ひとつ言えるのは今、再び保育に携わる仕事につけて幸せでいるのは間違いなくこの園での経験のおかげだと思っています。
よく「若い頃の苦労は買ってでもしろ」と祖母が言っていましたが本当にそうだなと思います。
私のモットーは、 人生に無駄な経験なんて一つもない です。
どうぞ保育士を続けるか辞めるかお悩みの方、辞めるも経験、続けるも経験です。
あなたがどんな選択をしてもあなたの大切な方たちはあなたを応援してくれると思いますよ
少なくとも私は陰ながら応援しております。
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