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北海道・東京へ行った応援ナースの体験談
自己紹介
初めまして!看護師歴8年の猫野根子と申します。私は関西在住で派遣看護師として週3~4日働いています。
務めているのは病院だけでなく、訪問看護、デイサービス、クリニック、訪問入浴、応援ナースなど、様々なところで働いています。
今回は数年前に北海道・東京に応援ナースに行ってきた時の体験をお伝えしますね!
そもそも応援ナースとは
応援ナースについてよくご存じない方もいらっしゃるでしょうから、念のため説明いたしますね。
応援ナースは看護師不足から生まれた新しい働き方で、人の足りない地方や離島、都市圏など様々な病院に行って働く看護師のことです。
各転職サイト(求人紹介サイト)によって、
応援ナース(応援看護師):ナースパワー、mcナースネット
トラベルナース:マイナビ看護師
と名前が違いますが、本質的には全て同義です。
よく似ているため勘違いされますが、いわゆる『派遣看護師』とは全くの別物で、応援ナースは応援先の病院と直接雇用となります。
応援ナースに参加した理由
今とは違う体験がしたかったから
応援ナースに興味を持ったのは、看護師4年目の頃です。
一通りの看護業務ができるようになって、「この病院だけでなく、他の病院を見てみたい。
他の病院でもちゃんとできるのか自分の力を試してみたい」と思ったのがきっかけでした。
そのまま同じ病院に勤めても良かったのですが、生活には困らない程度の貯金も貯まったので、新しい体験をしてみたいと思いました。
まあ正直な話、奨学金で縛られていたお礼奉公が終わり、若手いびりが大好きな面倒くさいお局様から逃れたいと思っていたのでちょうど良かったのもありました。
旅行が大好きだったから
鉄道オタクの父に連れられて、子供のころから全国の色んな場所に行きました。
その影響を受けたのか、給料をほとんど旅行に使うような旅行大好き人間になりました。
また、大好きな看護師インスタグラマーの方が応援ナースとして働いていることを知り、「旅行しながら働けるなんて最高やん!」と強く憧れたことも理由として大きいです。
給料が凄く良かったから
正直応援ナースに一番惹かれた理由はお金です。
地方の片田舎で、4回夜勤込みで20万程度の給料だった私。
看護師の平均月収としては低く、当時の私は全然満足できなくて、犯罪者みたいな理由ですが(笑)もっと遊ぶお金が欲しかったのです。
高収入と言われる応援ナースは、看護師としては安月給な私にとって、旅行に行けてお金もいっぱい貰えるという大変魅力的な働き方でした。
ちなみに私が参加した北海道の病院は月収約50万円でした。
北海道では札幌市内の病院に勤務したのですが、札幌は都市圏応援ナースの高収入の給与形態で働けるという良さを売りにしていたようです。2回目に参加した東京での給料も月収約50万でした。
私が利用した派遣会社では、月収は正看護師45~50万円、准看護師37~40万円が相場でした。
ではここからは最初に応援ナースに行ってきた北海道のお話をしますね。
就業先選定(北海道)
就業先は派遣会社の方と相談しながら決めました。ちなみに派遣会社の利用料は無料なので、いっぱい相談に乗ってもらいました。
地域は北海道と沖縄で迷ったのですが、食べ物がおいしそうなところが良いと思ったので北海道に決定。
担当さんに勧められたのは札幌市内の急性期病院。
契約期間は3か月と、応援ナースにしては短め(大体6ヶ月のところが多い)ですが初心者向けと言えます。
月収にも惹かれ、すぐOKしました。
面接
面接は派遣会社にて電話で師長さんと行いました。
履歴書は派遣会社があらかじめ送付してくれていましたのでスムーズに進みました。
師長さんからは、今までどんな患者さんを看てきたのか、看護技術の確認、急変時対応の経験回数などを質問されました。
私は経験年4年と浅かったので、本当に採用されるのかと途中から不安になり凄く緊張し、時々噛みながら受け答えをしていました。
見かねた派遣会社の方が時々会話に入ってきて助け舟を出してくれました。
そのフォローのおかげで師長さんに「採用します。一緒に頑張りましょう。」と言ってもらえ、無事に就業に至りました。
その後は派遣会社の担当の方から就業日、初日の段取りを説明されました。
引っ越しなど諸々の準備行い、満を持して北海道に飛び立ちました。
最初の1か月は大変
初日に看護師寮に入所しました。
家具家電付きで光熱費込みで家賃2万円。
至って普通のマンションで、新築ではありませんが掃除がキチンとなされていて清潔感があって綺麗でした。
2日目はいよいよ入職。
オリエンテーションの後、お世話になる病棟に挨拶。
皆さんにこやかに出迎えてくれました。
最初の1週間は先輩看護師とペアで勤務し、次の週からは1人で患者さんの受け持ちを開始しました。
そこからが大変でした。
まあ最初は普通の転職でも仕事が慣れるまでは同じだと思います。
しかし私は患者さん対応に凄く苦労しました。
北海道弁といいましょうか、イントネーションの違いでしょうか。
患者さんの話されていることが正確に理解できないことが多々ありました。
また私が普段使っている関西弁は北海道の人にとって非常に怖く感じるようで、「あの看護師さんの言い方が怖いから担当を変えてください」と言われたこともありました。
後に誤解は解けましたが、これはいけないと思い言葉遣いを改めました。
最初の1か月は、看護の勉強はもちろんしましたが、綺麗な言葉遣いについての勉強にかなり時間をかけました。
そして私生活では、しっかりホームシックになりました。
親や友達とここまで長い期間離れたことはなかったので寂しかったです。
友達に「北海道に来ない?」と勧めてきてもらったこともありました。
9~11月に北海道に行ったのですが、そこまで冷えないと思い、しっかりとした冬支度は持っていきませんでした。が、やはり甘かったです。北国の冬の訪れはとても早く、暖房や防寒着などの色々な出費がかさみました。
もう一つの問題は食べ物でした。
北海道の料理は大変美味いです。
すんごい美味しい!美味しいのですが、北海道の料理に飽きたわけではないのですが、どうしてもお好み焼きが食べたい!合わせ味噌の汁が飲みたい!ということで実家に頼み込んで、ソース数種類と味噌となじみの漬け物を送ってもらいました。
自分の生まれ故郷が大好きなんだな、と実感した1か月でした。
慣れたら楽しいのが応援ナース
最初の1か月間はグズグズしておりましたが、その後は充実した応援ナース期間を過ごしました。
派遣を依頼するぐらいですので、病棟は常に忙しかったです。でも職員のほとんどの皆さんは仲良くして下さり、協力して業務にあたりました。
残業も時々はありました。
でも正社員と違い、応援ナースは看護師にとって辛い委員会活動や研修に参加しなくて良いのです。
仕事後は早々に帰宅しました。
たまに元々勤めている職員さんや、同じ派遣さん達とごはんや遊びに行くなど、勤務時間後も充実した生活を送ることができました。
そしてプライベートでは、北海道をしっかりと満喫するために中古車を購入。
休みのたび遠出をして道内至る所に遊びに行きました。
地元に帰るときには車を売ったので、交通費はガソリン代ぐらいでした。
契約期限が近づくと寂しく思う気持ちもありましたが、十分北海道を満喫しましたので、地元に帰れるという喜びのほうが大きかったです。
よそ者イビリが好きなお局様が病棟にはいましたので、キッチリ3か月でお別れできるのは応援ナースの良いところだと思います。
契約終了の3週間前に、師長さんから「できればもう少し働いてほしい」とお願いされました。実際よく応援ナースは勤務期間の延長を持ち掛けられるようです。
派遣会社も「もし可能であれば是非」とのことでしたが、私は次の就職先が決まっていたので、申し訳なかったのですがお断りしました。
もし就職先が決まっていなかったら延長していたかもしれません。
でも今思えば雪に耐性がなかったので12月になる前に帰ってこられて良かったかもしれません。
ではここからは東京で応援ナースとして働いた体験をお伝えします。
就業先選定~採用まで
就業先は前回と同じように派遣会社の方と相談しながら決めました。
東京を選んだのは、「関東のライブに行ってみたかったから」というこれまた私情をふんだんに込めた理由です。
地方のホールでも素晴らしいライブは見られますよ。
ですが、やっぱり東京ドームや武道館、さいたまスーパーアリーナなどの巨大な箱で盛大に輝いている推しの姿を見たいのです、ファンとしては!(ちなみにこの頃は星〇源と乃〇坂の大ファンでした)
担当さんに勧められたのは都内のこれまた急性期病院。契約期間は6か月で、応援ナースとして標準的な長さです。
50万という月収にも惹かれ、すぐOKしました。
また今回の病院は、すでに勤務をしている応援ナースが多いとのことでした。
病院側が受け入れに慣れていることや、同じ応援ナースが多ければ心強い気がしたので、私も納得してその病院に決められました。
面接も前回と同じように電話にて行いました。
電話面接の前に前回の反省を考慮してか、派遣会社さんが面談の練習をしてくれました。
こういったサービスも無料でしてくれるのでありがたかったです。
練習のおかげで本番でも極度に緊張せず、無事に採用していただきました。
東京へお引越し
今回は看護師寮ではないですが、病院に近い賃貸マンションを用意してくれていました。
住宅費用と光熱費込みで2万円。普通に東京に住んで光熱費を入れると軽く10万円ぐらいかかると思うので、やっぱり応援ナースはお得だなと思いました。
簡単な家具家電は付いていました。
今回は6ヶ月契約なので、それなりに多くの物を準備しましたが、引越し費用も病院が負担してくれました!
まさかこんなところも負担してくれるとは思わなかったので、大変ありがたかったです。
東京でも最初はやっぱり大変!
消化器外科・内科の混合病棟に配属されました。
1日目はオリエンテーションと先輩看護師について回り一緒に業務しました。
そして困ったことに2日目から一人立ち!
まだまだ病室の位置や物品の場所も全く把握できていない中で非常に困りました。
そして病院自体が非常に忙しいので、あれこれ聞ける人が身近におらず。
何とか捕まえて、必死に仕事をこなしました。
3日目でだいぶ参っていましたが、そんな様子を見かねて声をかけてくれたのは、同じ応援ナースとして勤務されている先輩看護師でした。この先輩には派遣期間中ずっと公私ともに助けてもらい、仲良くしていただきました。
先輩曰く、応援ナースが多い病院では、応援ナース同士の助け合いが多いようです。
東京はいろいろレベルが高い!
派遣期間中、公私ともに「やっぱり東京はレベルが違うな~」と思ったことをお伝えしますね。
医療レベルが高い
それなりに大きい病院でしたし、東京ですので、医療レベルが非常に高いと感じました。
機械・物品は最新のものが多く、当たり前のように電子カルテ・スマートフォン・タブレット端末が臨床で当たり前のように使われていました。
地方の病院では電子カルテを1日の内にちょっと触る程度だったので、慣れるのに苦労しました。
でも慣れれば便利なものも多くあったので、「地方の病院にもあれば、あの時の仕事が楽にできたのにな~」と思いました。
都会の救急病院ですから、患者さんもひっきりなしに来られます。
多忙の中、いかに効率よく業務をこなし患者さんに寄り添った看護を行うか、ということを先生や先輩看護師の姿から学ぶことができました。
手術症例に知らないものが多くあり、その時は術前・術後の管理や観察に戸惑ったりしましたが、大変勉強になりました。
レベルの高い医療に触れられたことは、私の看護師人生において本当に貴重な体験ができ、大切な財産になりました。
地元にいるだけでは得られなかった経験ができ、逆にお金を払っても良かったのではと思うぐらいです。
実際に地元の病院に復帰してから、同じ環境で働いていても、前とは看護師としての意識が変わったような気がしています。
いました、有名人!
さすが東京といいましょうか。
人生で初めて芸能人や著名人の方と出会いました。
こちとら田舎者なので、今までの人生ではまず出会うことのなかった人を看護することになり、内心ものすごく興奮しました。
もちろん守秘義務があるので誰にも何も言えませんが、「あらブロッコリーお嫌いなのね~」とか「歯磨き粉、私が使っているものと同じもの使ってらっしゃる~」とか、私生活をこっそり垣間見てドキドキしていました。
そして最終日に差し入れを頂きましたが、また豪華なものを!高級和菓子を看護師全員分お付きの方が持ってきてくれました。お金持ちは規模が違うな~と思いました。
物価が高い
東京の病院では激務で残業が多く、ひと月の内に夜勤に4~10回入るような不規則な生活でした。
仕事後に自炊をする気力・体力はほとんど残っておらず、食事はだいたい外食や総菜など簡素なもので済ませていました。
そして1か月の食費が10万円になったことがあり、家計簿を見て青ざめました。
そこまで贅沢してないのに!地方にいるときには考えられないほど食費はかかります。
また地味に交通費が痛かったです。
東京は交通網が発達しており、ちょっとそこまでと思うとすぐに行くことができるのですが、地方の電車代に比べると、少しの距離でだいぶお金がかかるような気がします。
まとめ
最後まで見ていただきありがとうございました。
北海道・東京での応援ナースの体験を簡単にまとめますと
・応援ナースは期間限定の契約で高収入が見込める新しい働き方
・就業先の選定は派遣会社と相談して決め、面接は電話で実施
・最初の1か月は病院、仕事、地域になじむのが大変
・慣れてしまえばすごく楽しい!
両方とも、本当に行ってよかったです!
応援ナースが少しでも気になっている方へ参考になればと思います。今後の働き方の選択として、是非ご検討ください。
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