【看護師】歴25年 ・50歳代 ・職域:愛知県

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職場での辛い・辞めたい・いじめに関する記事の執筆
・50歳代
・看護師歴25年
・職域:愛知県

1.医療現場の過酷さ
某病院内での過酷さの始まり、それは私が40代で将来的な安定さを求めて転職しよう!と決めた時、友人に紹介された市民病院での面接が最初だった。

その面接に立ち会ったのは院長、総師長、各部署役員、事務職員その他諸々、計10人ほどであった。あまりにもの人数に半端ない緊張感だった。

しかしその直後、それはやり場のない感情に変わった。

「今日はどうしてこの病院の面接に来たのか?」
「その年で??今さら転職をしようとしたのは何故か?」
「今から新たな仕事をいったいどれだけ覚えられるのか・・・?」等など

辛辣な発言の数々・・・なぜ面接であそこまで言われなければならないのか。

その帰り道、腹立たしくて、情けなくて、自信さえ失いかけるほどのショックに
もうこの病院には縁がなくても、というかどうせ落とされるのだろう、と、だからどうでも良いかー。

そんな心境の中で自宅に帰った後、友人に一部始終急き立てるように話した。

一週間後、なんとあの総師長から電話がかかってきた。
「実は・・・この度〇〇さんはすべての適正検査において優秀だったのでぜひうちに来てくださいますか?」と。

面接時のあの険しい表情とは違い、ご丁寧な言葉に唖然とした。

結局、私は面接した時点で働いていた職場には退職願を出していたこともあり、腹の虫が治まらないことも多々あったが友人の顔を立てようと、本心をごまかしながらも内定をもらう事にした。

いよいよ、仕事初日となった。
私より少しずらした時期に入職した看護師6人と一緒にオリエンテーションを受けることになった。

その日数わずか1週間ほどの出来事が実にこれまでにないほどの忘れがたいエピソードとなった。

看護師の一般的印象は様々だと思うが、強そうにしている人もいれば直ぐに凹むような繊細な神経の持ち主もいる。

そこにいたどの人も皆、すぐに環境に馴染む人ばかりではない様子だった。

ある人は初めての医療作業に対して指導を受けるのですが、言葉のかけ方に敏感に反応し「あれは指導ではなくイジメなのでは・・・」と何事にも否定的に捉える看護師。

ある人は指導そのものに反発をして、その挙句上司に訴えるために走りまわり、さらには泣きごとのように大騒ぎをして、指導者を悪者に仕立て上げる看護師。

ある人は本当に繊細な性格なのでしょう。
着替えることも人目をはばかる、食事をするのも誰にも見られないようにコソコソと隅っこで食べる姿に、私はただ傍観していた。

声をかければ逃げ腰であり、困った事はないのかと、聞けば涙を浮かべる。
もはや仕事ができるレベルではない。

それでも以前は外科病棟に勤務していたというから周囲は驚いたのですが。
そのような個性豊かな看護師の中で自分だけは…そう思っていたのは誰もが考えていたことかもしれません。

また入職したその現場(病棟)で働いていた先輩スタッフたちも相当アクが強い人ばかり。結局、生き残ったのは最終的に私一人だけであった。

何が引き留めたのかといえばこの病院を紹介してもらった友人への配慮、ただそれだけだったように思うのです。

しかしそれはただの入り口に過ぎなかった。

いよいよ仕事に入る事になり、新人を
(私は古株の新人なのだが)教育するという形で先輩看護師が付くのだが、初日からいきなり急変患者の担当となった。

もはや教えてもらうどころか、「救急カート持ってきて!」「血管ルート確保して!」「呼吸が止まりそう!Drに指示の確認をして!!」次々と荒げた声で支持をされる。

物品も何がどこにあるのやら・・・どこまで手をだせばよいのやら、頭の中がパニック状態、それでも手を休めるわけにもいかず、何とか言われるまま急変の対応に集中した。

まぁ、するしかなかったといった状況だった。
そんな仕事の始まりに、この先の不安を覚えたことを今でもハッキリと覚えている。

その後、仕事に慣れるために日々何が起こるかわからない緊張感の連続だった。

そのような現場は常にただならぬ空気感があり、当然先輩となる看護師との間にも大きな壁があった。

ある先輩看護師の話し・・・

その中でも特に目立つ存在の人Aさんだった。
主任でも師長でもない、ただのスタッフなのだが。

そこには、その人の洗礼を受けなければならない無言のルールがあったのだった。

イジメる、とか無視されるとかではなく、ストレートに嫌な表現で体当たりをして来るのだった。

人によってはその状況は様々であったが、何しろ的を射た様に遠慮のない言葉を吐き捨てる・・・そんな印象だった。

私の場合は病院に入るきっかけが友人だった。

そこが暴言を吐かれた大きな原因となったのだ。
ある時Aさんと一緒に患者さんの介助をしている最中に、いきなり「あなたって〇〇さんの紹介で入ったんだよねー。

だから誰もあなたの事、受け入れないから!」と。
思わず「えっ、どういうこと・・・?」

後にわかったことですが、私の友人はその病院での勤続年数も長く後輩いびりや他職員への暴言など問題行動が多かったとの事。

ただ仕事はテキパキとこなし医師との関係性も良かったため周囲は何も言えずに、ただ手をこまねいている状況だったようです。

その時の私といえば、友人は学生時代からのお付き合いであり、これまでに一緒の仕事をしたことがなく、お付き合いの上では優しく思いやりがある人・・・そんな友人がこの病院で最悪な評判だなんて・・・信じられずにいた私は共通の別の友人に確認したのだった。

その返事が「えっ、知らなかったの?彼女は仕事にはこだわりがあり自分の意思を貫こうとする、でもそんなやり方を人にも押し付けるし、できなければとことん突っ込んでくる・・・ホントやりにくい、評判の理由もわかるよ~」と。

私はその友人とこれまでのお付き合いは学生時代からの20年ほどであり、少し人とは違う?

そんな印象もあったがそこまでの評判とはまったく知らなかったのです。

ただ、そのような状況であったとしても私はその友人の良さを理解し、これまでお付き合いをしてきたのですから、今さら嫌いになるわけでもなくこれまで通り変わらず接していったのでした。

そんな理由から入職した時のあの屈辱的な面接の意味も理解ができたのです。

まず総師長はじめ、その他面接に関わった職員(全員ではありませんが)は、その友人の知り合いとなれば、それもまた問題ある人間なのではないか・・・。

いくら経験があるとはいえ、しかも人材不足であっても似た様な人を採用することに抵抗があったのだった。

それが面接で、あのような酷い態度になったのだと後に知ったのです。

1人の看護師への個人的感情の怒りの矛先を、友人という関わりがあるだけで、採用面接という公的場において、そのような扱いをするなんて・・・。

あまりにも次元の低さに、どれだけ情けない職場なのだろう・・・そんな嫌悪感を抱いたのも事実です。

その後、やめたい衝動に何度もかられながらも3か月は頑張ろう・・半年・・1年は辛抱だな…そのように自分に言い聞かせながら頑張りぬいたのです。

1年を過ぎたころには慣れてきた事もあり、疑問に思うことに対しては意見をすることもできるようにもなったのです。

また後輩や看護学生の指導や必要な勉強会・研修などは前向きに参加する事もできるようになりました。

それが他へ目を向けることでストレスへの意識を切り替えることにもつながった様に思います。

しかし、現場は相変わらず新しく入った看護師に対しての仕事やそれ以外のチェックは依然として続いていた。

指導という名の下では何をしても許されると思っているのだろうか・・・。

看護師とは名ばかりであり、その前に人であり人間性の問題でもある。
人を看護し闘病意欲に向けた関わりを積極的にするプロである。

そんな現実に目を向ければ、人のことをとやかく言っている場合ではないはずである。

でも、私はそのような環境から何を学び得るのかを考えた。
それは後々、自己成長へとつながる大きなきっかけになるのだと。

どんな経験もすることで初めて知る感情がある。それは苦しみや悲しみは相手の痛みを知る事にもなるのだと。

それが今後の教訓にもなることを学んだ大きな体験でした。

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