看護師は介護も含め看護にも責任を持たなければならない。

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職場での辛い・辞めたい・いじめに関する記事の執筆  

・50歳代
・看護師歴25年
・職域:愛知県

「休めない身勝手な事情」
病院の中には療養型病床を持つところもある。
大抵の病棟はつねに忙しく時間ごとに追われる仕事もあれば、急変時の対応などとっさの判断を強いられる状況など多々ある。

療養型病床も同じく看護師は医療処置や急変の対応に加えて介護に関わる業務も当然ある。
療養型とは長期にわたり療養を必要とする患者のための病床であり医師・看護師のほかに介護士の配置が定められている。

介護ケアは主に介護士が行うのですが看護師は介護も含め看護にも責任を持たなければならない。
その場の対応に何かあれば瞬時の判断で医師への報告や、急変時の対応を迫られる。

入院患者の多くは高齢者が多く適切な判断をしなければ命の危険さえある。
夜勤などは特に看護師と介護士の配置で仕事に入るので、特変のある患者がいれば半端ない緊張感でもある。

介護士自身、有能な看護師であればその日の夜勤はひとまず安心、といった気持ちで勤務に入る事ができる。
同様に看護師もまた機転の利く介護士と組めばある程度、あうんの呼吸で業務も滞りなく済ませることができる、といった気持ちにもなり内心「ほっ」とするのだ。

それが口には出さなくとも看護師なら誰でもがそう願いたいと思ってしまうのが本音なのだと思う。
ある日の夜勤入りの時、前日から何となく体がだるく気分がすぐれない為、その日は早めに就寝した、
翌日になっても状態は回復しなかった。頭が痛い・・・しかも寒気までする。

今日は夜勤入り、もしやと不安を抱きながら引き出しから体温計を取り出し測定した。
ナ、ナント38.0度もあるではないか!
これはまずい!!」
ひとまず自宅に常備してある解熱鎮痛剤を服用しブルブルと震える体を毛布で包みこんだ。

「今日の夜勤・・・どうしよう(汗・・)誰かに変わってもらえるわけないよなぁ・・・」病院に電話する事を躊躇しながら考えているうちに定刻時刻となり、結局出勤しようと 家を出るのであった。

病院に到着するといつものように白衣に着替えて、勤務場所のある病棟へ向かった。
何とか辛さをこらえながら表情が見えないようマスクで覆った。

仕事に入る前には必ずその日の夕食後薬の準備、持続点滴の確認と準備、重症患者のバイタル等、また主治医の指示受けなどチェック諸々の確認をした後、日勤者から夜勤者への申し送りがある。

いつもならその一連のルーティンを淡々とこなし、申し送りを受ける段階に入るのだった。
だが、今日はそこに中々行き着かないのだった。

自宅で飲んだ解熱鎮痛剤が一旦は効いたようだったが、再び悪寒、頭痛そして何よりも体が熱いのだった。
熱が再び上がってきたに違いない・・・。顔や体まで熱り、もうこれ以上は隠せないなぁ・・・これではやはり仕事にならない、そう判断をした。

ステーション内では看護師長が何事も問題ないかのようにいつもと変わらない様子で電子カルテを見ている。
こわごわと師長のそばまで行きながら今日は体調不良であり夜勤をすることは難しい、そんな話をしようと近づいた。

師長「どうしたの?」
私「あのぉ・・・すみません、昨日から体調が思わしくなくて早めに寝たのですが・・・」
師長「薬飲んだ?今日の夜勤、頼むね!」

私「それが・・・今朝からさらに風邪のような症状があって、薬を飲んだのですが・・・」
師長「それで??」

私「熱が一旦引いたのですが、さっき計ったらまた熱が・・・」
師長「大丈夫?微熱くらいなら何とかできそう?」

私「実は38.5度あって…しんどいのですが・・」
師長{えっ!!そんなにあるの、夜勤やれるの?}

季節はまさに冬でもありインフルエンザが蔓延していた時期であった。
私「朝から熱が出てきたのですが・・・インフルエンザの検査したほうがいいですよね・・・?」

師長「えっ、検査で陽性が出たら出勤停止になるでしょ!
今から解熱剤飲んで、勤務に入る前に点滴でもして、何とか一晩頑張って!」

私は内心、えっ・・・検査しないほうがいいなんてあり得ない~
でもほかの人に交代をする考えは今の師長には無いみたいだし・・・

(夜勤)やるしかないのかなぁ~
私「そうですねー。点滴を打ってもらえば何とか頑張れますねー」

師長「はい!じゃあ頑張って、お疲れ様!」
そのやり取りの後、言われた通りに解熱剤を服用し点滴を受けた。その後、重たい体を引きずりながら夜勤に入るのでした。

幸い、この日の夜勤介護士は、普段から仕事熱心で細かいところまで気遣いのできる人だった。

「〇〇さん、ごめんなさいね。迷惑かけると思うけど何とか頑張るからフォローお願いね。」
「大丈夫ですから、何かあればすぐに行ってくださいね。」

なんとも頼もしい!
この時にはその介護士の言葉がせめてもの救いであり心強く感じました。

夜勤に入り私はこのまま踏ん張れるのか、倒れはしないかなど、他の方にも迷惑をかけることへの申し訳なさもあり、頭の中が不安要素でいっぱいでした。
しかし仕事に入るからには調子が悪い等とは通用せず、自らを奮い立たせてやるしかない!そんな心境でした。

これが冒頭でもお話しした機転の利く介護スタッフだったことへの安心感である。
普段の夜勤は特に重傷者などいない場合でも一晩中寝ずに(休憩はありますが)病室をまわり吸痰や時間ごとの体位交換、点滴交換、処置など必要な人への看護など、それだけでも重労働である。

そこに体調不良の状態で判断力も鈍い状態の中、ただひたすら動き回りながら、出口の見えないトンネルにいるような不安感にいました。

時間もなかなか過ぎていかない様に感じたこの日の夜勤はこれまで最も長く感じた日となった。
やっとのことで朝を向かえ、もう少しで日勤者が出勤する時間だ・・・その頃には熱もピークの状態、もはや記憶はありません。早々と師長が出勤してきました。

まずは特変がなかったこと(私?も患者も)の確認で胸をなでおろしたのは言うまでもありません。
そのような体調の中、果てしなく長く感じた夜勤を終えた私はその後、受診をして自宅でしばらく静養していたと思います。
というのも、途中からの記憶を失っており思い出せないのです。勤務を終えて帰ったあたりからどうしても思い出せない。それほど過酷であったのでしょう。

数日後には何事もなかったかのように平然と出勤したものでした。その当時、私の所属していた病院の実態は看護師不足や事情により勤務交代もできないスタッフなどもいる事を
知っていただけに無理をするしかないと思ってしまったこと。
また過去には違う現場においても、そのような体調不良の時に出勤したことは度々あったのです。

体調を崩すことさえ自己管理不足だ、といったレッテルが貼られて周囲からは同情をされるよりも自分の不摂生が原因だと言われることで自己嫌悪さえ抱くこともありました。

そんな理由から無理をしてまでも勤務を遂行してしまうのが当たり前になっていたのかもしれません。
また、ある時私の息子がまだ小学生のころに発熱をした時のお話です。

その日の勤務者はギリギリの人数であった為、ひとまずは解熱剤を飲ませて寝かしつけた後、そのまま出勤をしました。

勤務の間は当然、気になりながらも業務に携わるしかなかったのです。
やっとのことで勤務を終えて帰宅しました。

息子は比較的元気な様子でしたが、まだ完全には回復をしておらず近医に掛かりました。
先生から詳細を聞かれ素直に事の一部始終を話してしまいました。

すると「何をやっているんだ!!子供と仕事のどっちが大事なんだ!それでも母親ですか!」と。かなり感情的な様子で私は叱られてしまいました・・・。当たり前です。

その当たり前が仕事をしていく中でそうではなくなっていた自分がいたのでした。
自分自身の事だけなら自己責任で済みます。そこに子供を巻き込むなんて、と深く反省をしました。

子供を放置して仕事に行ったのは後にも先にもこれが最後でした。
仕事をしていく上で家庭をある程度、犠牲にすることはやむを得ません。

しかし、しても良い悪いことの判断が曖昧になっていたことも事実でした。

何よりもまず自己管理をすること。しかしそれでも体調がすぐれない時はしっかりと休養をとること。犠牲的判断ではなく何が正しいのか・・・その判断を見誤らない視点を持つこと。それが今後も仕事に向き合うためには責任を持つ事のできる姿勢なのではないかと思いました。

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