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30歳代 経歴11年 沖縄県在住
【新卒で入った病院】
最初のA病院は急性期病床300症の病院でした。
薬剤師の人数は20人、助手さん2人の職場です。
新人として一緒に入ってきたのは二人でどちらも新卒です。
研修医に人気の病院でスタッフ間の仲が良いと噂を聞いて就職しましたが、院内薬局は常に人手不足で求人を出している状態でした。
就職してすぐに職場の先輩から聞かされたのは薬局の主任の新人いじめがひどく今まで5人辞めていった事、一人はうつ病をここで患いA病院を辞めた後は薬剤師として働けない状態であるという事でした。
次の新人が来るまでは主任のどんな暴言や行動も耐えるように、あまり目立つような言動を控えるようにと教わりました。
新卒でモチベーションが高かった私にとってはとても衝撃てきでしたが、他の職場で仕事したことも無かったため社会人になったらこんな状況も諦めなければいけないのだと自分を納得させてしまいました。
主任にとって新人で入ってきた二人のうち私がいじめの的となりました。
お金がなく通勤3kmの距離を原付バイクで通った事がまず気に食わなかったようです。
台風の日も出勤となるので、借金してでも車を買うように主任から怒鳴られすぐに車を購入しました。
私は一年浪人して薬学部に入学した事も気に食わなかったようで、同じ年齢の先輩の薬剤師と比べてお前は全然仕事が出来ないと何度も主任に笑われました。
新人二人にそれぞれ教育担当がついたのですが、私の担当ばかり主任に怒られているので自責の念に駆られました。
4月に入社して5月の中旬には不眠などのうつ症状が自分にみられたため心療内科を受診し大うつ病と診断を受けました。
休職の提案を医師から受けましたが、4月に仕事を始めたばかりですぐに1カ月も休みをとるなんてあの頃の私には考えられませんでした。
そのため抗うつ薬と睡眠薬を飲みながら仕事を継続しました。
毎晩泣いたため毎朝目を腫らして出勤しても誰もそのことに対して声をかけてくれませんでした。
主任にひどく怒られトイレに30分こもり泣くこともその時にはよくあったのですが、だれも心配して探してくれることなどありませんでした。
うつ状態のため以前より頭も回らず、うまく動けなくなっていたためさらに自分を責め、うつを悪化させる悪循環です。
A病院には心理相談室がありそこで相談した時にパワハラを初めて知りました。
6月末に大きな過呼吸を起こしA病院の救急へ搬送されました。
過呼吸を起こした翌日に薬局長から呼び出され一カ月休職するように指示を受けました。その時主任のいじめについて何も薬局長は聞かなかったので私が一方的に悪いのだとショックを受けました。
実家に休職になったことを言えず毎日出勤するふりをして図書館で過ごしました。
休職したのにさらにうつを悪化させていたと思います。
心理相談室の提案もあり、今回のパワハラについて幹部宛てに報告書を作成し提出しました。
何度か幹部の方と面談もあり数カ月がかかりましたが、以前から主任のパワハラは問題になっていたようで、次はないと忠告を幹部から受けている状態で今回の私の訴えがあったため主任は解雇となりました(表面上自主退職となりました)。
その頃には私の心身状態は最悪で、職場に入るだけで軽く過呼吸を起こしてしまい、今まであったことがフラッシュバックしてしまい突然泣いてしまう事ばかりで、私自身もここではこれ以上働けないと辞職願をだしました。
もっと私に社会人の経験があれば傷病手当をとり1年~半年休職したり、A病院を訴える事も今ならしましたが、あの頃の私は早くこの状況から逃げたい気持ちしかありませんでした。
【転職一度目のB病院】
B病院は5年の実務自習の時にお世話になった病院で薬局長からの誘いもありA病院を退職したあと、就活することもなくすぐにB病院へ転職しました。
B病院は600床の総合病院で薬剤師も40名、主任が4人いる大きな病院です。
最初は薬剤師としての勉強もでき楽しく仕事をしていたのですが、調剤の主任をしている薬剤師がA病院から私がうつ病で仕事を辞めた噂を聞いたようで、「うつ病で薬を飲んでいる人に麻薬を触らせたくない」と言われ、麻薬調剤を許されない他、他の仕事も制限される事となりました、その対応に私自身は傷つき休みがちとなりました、薬剤師なのにうつ病に対してそんな差別をされるとは思いませんでした。
その経緯を化学療法を担当している主任が知り、私を化学療法専属で仕事が出来るように支援してくれました。
1年間は心が安定した状態で働いていたとお思います。
私は時職員として入ったため、ある日新人の常勤が過量担当として入る予定があるので私はまた差別を受けている主任の元で働くように薬局長から指示を受けました。
私としては、同じ思いをしてまで働くつもりはないとB病院も1年少しで辞職を出すこととなりました。
【二度目の転職保険薬局C】
二年の間で二回も転職をしていたため、病院で就職活動をしたもの中々内定をもらえず、友人のいる保険薬局に就職となりました。
同じ県内で就職したためか、そこでも私がうつ病である事実を薬剤師間で知れ渡っていたようで、半年臨時職員としてお試し期間を過ごしたあと正職員にしてもらえました。
一日の処方箋枚数が300枚の忙しい薬局でしたが、以前のように差別する先輩もおらず、私を信頼して仕事を依頼してくれているように感じました。
正職員になった半年後に抗うつ薬も休薬するまでになりました。
C薬局は業務が忙しいにも関わらず、人手が常に足りず、女性が多い職場だったため子育て中のママも多く、独身だった私は夜10時までの夜勤に入る事が多く、仕事も多くふられていたように思います。
ただ初めてしんらいされて仕事を任せてもらえていると感じていたため私も頑張りすぎてしまいました。
C薬局で働いて3年目30歳を過ぎたあたりから月経過多となり貧血で職場でも何度か倒れました。
両手が腱鞘炎になり、全身倦怠感がとれないようになりました。
そんな時期にC薬局薬局長から県の学術集会で発表するように指示を受けました、体調が優れない状態なので「今は難しい」と断ったものの、人手が足りない状態で毎年C薬局は演題を出しているので、今年は私しかいないと押され仕方なく受ける事にしました。
仕事も忙しい中、自分で納得できるようなしっかりした破票を作りたいと思い職場に15時間いる生活を送りました、一カ月すると両手の腱鞘炎以外に背部痛、頭痛がおき徒歩通勤でしたが5分歩くだけで泣くような激痛が起きるためタクシーで通う事もしばしばありました。
病院で線維筋痛症と診断を受けてまた服薬の生活を送る事となりました。
県の学術集会も無事終了しほっとした事と、4年ほど頑張って働いていたのに、ずっと人で不足で慌ただしく何も変化もなく働いている現状に虚しさがこみあげてきて退職希望を出していました。
【三度目の転職D病院】
三度目の転職は病院でまた働きたい、線維筋痛症もありゆっくり働きたいという自分の希望もあり100床の慢性期病院へ転職しました。
保険薬局ほど慌ただしく働く事はなかったため線維筋痛症は次第に回復していきましたが、ここでは薬局長と価値観が合わずうまくコミュニケーションをとる事が出来ませんでした。
薬剤師の人数も4人、助手4人と狭い薬局だったため、ぎくしゃくした人間関係からうつ病を再発し2年で辞職をしました。
現在4度目の転職で急性期のE病院に勤めて2年目です。
就職面談時に経緯を説明しうつ病を患っている事を自分で報告しました。
薬局内の対人関係も良好で抗うつ薬も1年前に辞める事が出来ました。
私もE病院の勤務の間に結婚、妊娠を経る事が出来ているのですが、臨時職員のため正職員と同様に働いているのですが、私には毎月の薬剤師手当てが2万円ありません。
家庭も持ったため皆と同じくらい働いているのに待遇の差で私だけ二万円」少ないのは腑に落ちない気持ちです。
ただ職場環境で苦労してきた私にとってE病院は働くうえでは感謝しかなく、今は正職員になれるよう日々頑張るしかないと思っています。
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