◎ブラック病院で公務員看護師として働いた経験からの学び
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30歳代/経験年数4年/千葉県
公立病院で働く看護師の待遇のイメージ
私は公立の看護学校に通っており、付属の公立病院への就職が決まっていました。
学生への指導が厳しいことで有名な病院でしたが、公立なので就職すれば公務員です。
私が公務員看護師に対して抱いていたイメージはどれもポジティブなものばかりでした。
「他の病院より初任給やボーナスが良い」
「定時で上がれる」
「他の病院よりも新人教育が手厚くてスキルが磨ける」
私はワクワクしながら入職日を待っていました。
公務員のはずなのにまるでブラック企業
実際はイメージと全く逆な出来事が起こり始めました。
まず初日の研修で待っていたのは、病院内で異教徒扱いされている組合からの勧誘でした。
本来会社の組合であればそのような扱いはされないはずなのですが、何故かこの病院での組合会員たちは過激派のような立ち位置で、親しくしてはいけないという暗黙のルールでした。
組合から豪華な昼食用の弁当を振舞われたのですが、手を付けていいのか、拒否した方がいいのか分からず、同期メンバーで顔を見合わせながら、結局貰った手前食べることに。
そして各病棟への配属が決まると、そこからはまさにブラック企業戦士としての生活が始まりました。
人の命を預かる職業なだけに、プレッシャーもすさまじく、一瞬たりとも気を抜くことは許されません。
業務開始時間より2時間近く早く病院へ着き、先輩たちがパソコンのスイッチを入れる前に新人が電源を入れなければならないというルールがありました。
もし先輩看護師の誰かが先にスイッチを入れようものなら、プリセプターの先輩に激しく責められました。
「新人のくせになんで早く病棟に来ないの」「やる気が足りないんじゃないの」「先輩にパソコンの電源を入れさせる新人は役立たずで無能だ」など散々罵倒されました。
プリセプターの先輩は機嫌が悪いときに、わざと新人看護師よりずっと早い時間に病棟に到着してパソコンの電源を入れ、遅れて到着した私たち新人看護師を激しくなじりました。
今振り返ってみると、たかが新人看護師たちに嫌がらせをするためだけに早朝から病棟を訪れるだなんて、すさまじい執念です。
プライベートの時間を投げうってまでそんなことをして、プリセプターの先輩たちに何の得があったのかは分かりませんが、とにかく執拗に私たちを責めようと躍起になっている人たちでした。
異常だと判断できない精神状態
冷静な判断では、自分が置かれているのは異常な状況であることが分かります。
しかし毎日何時間も罵倒されると、本当に自分が無能な人間になったような気持ちになるのです。
新人教育も、病院独自で行われている研修自体は丁寧な内容で学びが深かったのですが、やはりプリセプターの先輩たちからはまともな教育をしてもらえませんでした。
右も左も分からないまま、何人もの患者を受けもたされ、いつか自分のせいで誰かが命を落とすのではないかと思い、怖くて怖くてたまりませんでした。
定時で上がれた試しなどありません。
ある日、定時間近で緊急入院をとることになり、手続きや作業内容も分からないまま全てを押し付けられ、プリセプターの先輩は「じゃ、私は帰るから」と颯爽と定時で帰ってしまいました。
嫌がらせのために早朝から病院に来ているのですから、早く帰ってゆっくり休んでまた明日に備えたかったのでしょう。
何もわからないで1人取り残されたのを見かねた年配の先輩看護師が声をかけてくれたおかげで、他の先輩たちに教わりながらその日は乗り切ることはできました。
ただ、そんな毎日の繰り返しで私の心はすっかり疲弊してしまっていました。
朝から何時間も早く来て、何時間も残業したところで、当然残業代は出ません。
全ては自己研鑽のため、仕事ができないゆえの残業だとのこと。
書類上は残業はしていないことになりますが、実際は月に100時間近くサービス残業をしていました。
時折、カンファレンスルームに連れ込まれ、何時間も自分の欠点や足りないところは何か言わされ続けました。
プリセプターの先輩たちが納得するまで、私は自分を無能な人間の屑で、怠け癖もあってどうしようもないのだと言う羽目になったのです。
その行為にいったい何の意味はあったのか、未だに分かりません。
プリセプターの先輩たちの気持ちを満たすために、私はサンドバックのような役割を果たしていたのだと思います。
朝は早く、日中は休む間もなく恐怖に震えながら働き、帰宅は時間は遅い生活。
しかし、帰宅してからもまた休む間もなく、疾患やケアの手順の勉強をしなければなりません。
しかもそのうえ、勉強はコピーやパソコンを用いてはならず、すべて手書きを要求されました。
どんなに頑張っても、手書きでは限界があります。
書ききれず仕方なくコピーやパソコンで打ち込んだものを用意すれば手抜きだと怒られ、もっていかなければ内容が薄いと怒られました。
心が壊れて出社拒否
24時間常に仕事のことを考えていなければならない生活が数カ月続き、次第に私は眠りたくても眠れなくなりました。
しかしそれでいて無気力で勉強をする気にもなれず、病棟に出勤しても壊れたように泣きました。
プリセプターの先輩たちはそんな私を白い目で見ました。
年配の先輩看護師たちは極力フォローに入ってくれましたが、もう私には頑張る気力が残っていなかったのです。
結局私は、病院で適応障害と診断され、自宅療養することになりました。
時折、師長が心配して電話をかけてきましたが、今までみて見ぬふりを決め込んできたくせに、今更何の用なんだと腹立たしく感じました。
休職中、病気休暇の手当が受けれられたのは、公務員看護師で唯一良かった点です。
時間とともに心が回復
病棟から離れ、療養するうちに私はやっと正常な判断能力を取り戻しました。
何故私はあのような扱いを受けても当然の様に黙って受け入れてきたのかと思うと、唐突にこの問題がばかばかしく思えました。
最初から難しく悩むことなどなかったのに、私は抱え込みすぎていました。
適応障害の治療のために通っていた心療内科でも、主治医から「あなたは悪いことなんて何もしてないんだから堂々としていればいいのよ」と励まされたことも私の活力になりました。
私は勇気を出して退職を願い出ました。
数カ月の引き留めに合いましたが、次の就職先を見つけて半ば強引に退職しました。
次の職場では不当な扱いはなく、楽しく働くことができました。
同期は心が壊れた看護師になっていた
それからしばらくたって当時の同期と顔を合わせる機会があったのですが、いかにも疲れきった顔で無気力そうにしていました。
「先輩たちに毎日怒鳴られたり、人格否定されるんだけどたまに飴をくれるの。だから先輩たちはいい人たちなんだよ。だって他の病棟の子達に聞いたら、飴なんてもらえないんだって」と言うのです。
何かの冗談かと思いましたが、同期の友人の目は真剣でふざけている様子は微塵もありません。
友人の心は完全に壊れていました。
まるで暴力を受けている妻が夫の気まぐれな優しさにすがっているようでした。
心身を壊してまであの病院で働く必要もないのに。
かし、私はその危機感を伝えても今の友人には届かないだろうことを悟りました。
私はただ「そうなんだ、良かったね…」とだけ伝えるにとどまりました。
公務員看護師の経験からの学び
「公務員看護師」という言葉だけなら、とても魅力的に聞こえることでしょう。
しかし実際は、他の病院と何ら変わらないブラック病院で、もしかしたらもっとひどい労働環境かもしれません。
ブラック病院に入職してしまった私が言えるのはたったひとつです。
「心身が危険にさらされているなら、すぐにその病院は退職して次の職場を探し出した方が良い」ということ。

新人看護師だから不当な扱いを受けても黙って受け入れなければならないというのは間違いです。
自分に合った職場で、持ち前の長所を活かしながら働くことをおすすめします。